俺とパソコン


愛機FMV

使っていたノートパソコンのHD容量が限界に来ていたため、いいかげん家にデスクトップマシンが欲しくなった。しかし資金源が無い俺はあきらめざるを得なかった。

ある日、親父にパソコン買ってくれと頼み込むと、親父はキャッシュカードを貸してくれた。豪快な親父だと思った。

無尽蔵に預貯金をおろし、友人達と合流。その日は友人がプリンタを買うというのでみんなで集まって秋葉を襲撃。そして、プリンタを見てる振りをしてパソコンを品定め。そしておもむろに現金を取り出して購入。プリンターを買いに来たはずの友人がそれを見て衝撃を受ける。そして俺に触発され同じマシンを購入することを決意する。

そのマシンを購入したロケットはその後つぶれてしまった。店員の石橋さんのその後が気になるところである。


FMVによる音楽ライフ

突如mp3に興味を持った俺は手持ちの音楽CDを片っ端からmp3にエンコードしまくり。パソコンジュークボックス化を行う。ところが、mp3ファイルがHD容量を圧迫し始める。そこで、友人に頼んでCD-Rに焼いてもらうことにする。ところが友人の家にmp3ファイルを運ぶ手段が無くて途方に暮れる。当時は56Kモデムで接続していたのでネットワーク上でやり取りするなど到底不可能。しかも常時接続環境ではないのだ。友人の家はほんの数十メートルしか離れていないのがさらにもどかしい。

仕方が無いのでSCSIカードを購入することにした。デバイスを1つも持ってないのにSCSIカードを購入するのは悔しいので、IDEのデバイスをSCSIとして接続できる機能を持ったSCSIカードを購入。

友人にMOドライブを借りて、無事にデータの輸送が完了。それをCD-Rに焼いてもらったりした。当時のCD-RドライブはSCSIしかなく、しかも高価(5万円程度)だったのでこの方法が安価であった。


ISDNへのいざない

友人の家でISDNを導入したので乗り込んで使わせていただく。
なんといってもその接続の速さに震撼。接続が安定してるのも高評価。その当時モデムによるDiabloのネット接続が不安定だったため大いに惹かれた。

結局これも親父に頼み込んで導入。プロバイダを乗り換えるつもりだったのだが、ISDNで使ってみると快適だったのでそのまま使うことに。


さらばFMV

UOがその度重なるパッチにより着々とその重さを増していく中、そろそろ新しいマシンが欲しくなり、新しいマシン(青いPenIII450マシン)を購入することとなった。
それに伴い、FMVは弟に譲ることとなり、友人の車で秦野まで運んだ。